子ども写真島の神々1〜土門拳神〜

昭和のこどもたち

F>フクロウ Y>ヤマト

 

Y>ところで、お前はギリシャで子ども写真を教わったんだって?

F>そうだよ

Y>いったい誰に教わったの?

F>子ども写真島の神々からだよ

Y>子ども写真島?神???

F>子ども写真島にはたくさんの神が棲んでいる。写神(シャシン)と呼ばれている神たちだ。

Y>写神?な〜んか、うさんくさそうだねぇ

F>そんなバチ当たりなことを言うもんじゃないよ。写神はすごいんだぞ〜

Y>じゃー子ども写真島にはどんな写神がいるの?

F>そうだな、たくさんいるけど、巨匠中の巨匠は土門神だろうな

Y>神に巨匠も何もないと思うけどまあいいや。その土門神のことを少し教えてよ

F>ヤマトも少しはやる気がでてきたねぇ、じゃー教えてあげよう

Y>・・・

F>土門神は昭和の時代、子どもたちの天真爛漫な姿をみごとに写真で描写していたんだよ。「江東のこどもたち」では、そこにまるでカメラなど存在しないかのように、子どもが実に自然な表情で無邪気に遊んでいる。写真を見ているとその時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるね。

Y>へえ〜、そんなにすごいんだ

F>そんな土門神なんだけどね、時代が流れ、戦争の勃発などにより、あるとき、子どもたちの表情から昔のような明るい無邪気さが消えていることに気づくんだ。やがて土門神は、厳しい社会を生きる子どもの姿を撮ることで、社会の歪みを表現しようとする。炭坑に生きる「筑豊のこどもたち」にはそんな土門神の強い意志が現れているよ。

Y>同じ子どもの写真でも、「江東のこどもたち」と「筑豊のこどもたち」では全然違うんだね。

F>あっ、そういえば、京都の高島屋で土門神の写真展やってたよ

Y>えっ、いつまでやっているの?

F>今日までだけど・・・

Y>もう見れないじゃん、もっと早く言ってよ〜

F>ゴメン、ゴメン。ボクも今日気づいて、慌てて行って来た

Y>あ〜あ、行きたかったなぁ、土門神の写真展。で、たくさんの人が見に来てた?

F>うん。たくさん来てたね。でも、ほとんどが60代、70代の人たちだった。「昔はこんなだった」と昭和の時代を懐かしむように写真を見てたよ。

Y>若い人は来てないの?

F>残念ながらあまり来てなかったね。これから子どもの写真を撮るであろう若いお父さん、お母さんにこそ、見てほしい写真なんだけどね。子ども写真はこうやって撮るんだっていうお手本がいっぱいあるよ。

Y>やっぱり見たかった・・・

F>あっそうそう、写真展に行けなかったヤマトのために、土門神の写真に役立つすごくいい言葉をひかえてきたよ

Y>何?何?

F>ちょっと待ってよ・・・、あった。これだ!

 

〜土門神のことば〜
こどもたちというものは、よその土地からきた僕のような闖入者をはじめは警戒したり、物珍しげにまわりにたかったりするが、カメラを見せたり、ファインダーをのぞかせたりして一通り彼らの好奇心を満足させてやると、すぐにまたもとの遊びに戻ってしまう。もとの遊びに戻った彼らは、もはや僕の存在など眼中にない。そこではじめてこっちの仕事がはじまるのである。ゆきずりのスナップでないかぎり、彼らに対する忍耐強いサービスがまず必要である。


 

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