《フクロウ便り》絵本『りんごかもしれない』 ヨシタケシンスケ作(ネタバレ注意!)

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最近流行っている絵本と聞いて、早速2歳になる次女のために図書館から借りてきました。

タイトルから、おおよその内容は想像がつきます。
「ただのりんごも先入観を除いて見てみると、いろんなモノに見えてくるかもしれないよ、だからもっと視野を広げてね!」。
おそらくはこんな感じのストーリー展開なんだろう。

(以下長文になります。スミマセン。)

最初の数ページは、ほぼ予想どおりでした。

「あなたが見ているりんごは、もしかすると大きなさくらんぼの一部かもしれないし、見えてない反対側はみかんかもしれない・・・」
さらに、「表面をよくみると小さな宇宙人がいっぱいいるかもしれない」とマクロ的な視点にまで話がおよびます。ふむふむ、見えている部分だけでモノごとを断定してはいけないということか・・・

でも、これで終わっていたら、それほどまでにこの絵本はヒットしなかったでしょう。
そうです、この本の面白さはここからが始まりです。

「りんごが人間みたいな感情を持っているかもしれない」とか、「兄弟がいるかもしれない」とか、「過去にどんな経験をしたんだろう、将来、このりんごはどうなっていくんだろう」みたいに、話が予想もしない方向へと進んでいきます。

冒頭部分が視覚という観点から、一方的なモノの見方に対する警告を行っているのに対し、徐々に視覚以外でもモノを捉えてみようという発想へと移っていきます。ときには擬人化してモノの気持ちを考えてみたり、育った環境を想像してみたり、歴史や未来といった時間軸でモノを考えてみる、なんてこともときには大切だよ、と教えています。

ここまでくると、私もなるほどこれはいい本だと納得。
ところが、ここから話が急展開。

「ひょっとすると、ボク以外はみんなりんごかもしれない」と、そもそもの前提をひっくりかえされてしまうのです。まさに、コペルニクス的転回というべきでしょうか。

このあとこの本はどうなっていくんだろうと思って読んでいると、突然、「でも、もしかしたら、やっぱりふつうのりんごかもしれない」と、拍子抜けするようなエンディングを迎えます。

この本を読んだ直後の率直な感想。
見事なまでの起承転結でまとめられたこの本は、もはや子どものための本ではない。

なぜなら、ウチの2歳の子は、そもそもりんごを先入観を持って見ているはずがなく(たべものだと認識しているかどうかも疑わしい)、わざわざ教えられなくてもちゃんと五感や感情を通して多面的にりんごを捉えることができていると思うからです。
では、これは誰のための本なのでしょうか?

皮を剥くと中はクリーム色で、噛むとシャキッとした歯ごたえがあって、味は甘酸っぱくて、アメリカの巨大企業の社名にもなっていて、南の国に行くと結構貴重品で・・・なんて無意識のうちにりんごを見てしまうのは、全てわれわれ大人です。
だから、この本は、頭の固くなったわれわれ大人に対して、「子どものように自由な発想で夢を持った方が人生ずっと楽しいし、心が豊かになるよ!」と忠告してくれているのでしょう。
その結果、夢が幻だって別にいいじゃない、それは、はじめから夢を見なかったのとは全然意味がちがうんだから、と。

私はこのように解釈しました。

でも次の瞬間ハッと気づいたのです。
この本はこいうことが言いたいんだな、などと決めつけてしまうこと自体が偏見、モノごとを一方向からしか見ていない証拠なのです。つまり、上に書いた解釈は、単に私一人がこう感じた、ということにすぎません。これはすべて私個人の勝手な感想なのです。

この本のほんとうの魅力は、読んだ人ひとりひとりがその意味を自由に解釈できる、ということにほかなりません。私とまったく違う読み方をする人もいるでしょう。そもそもいろんな人からいろんな考えが生まれるから、この本は素晴らしいのです。
いや、そう決めつけることもまた、一種の固定観念に囚われているのだとすると・・・
だんだん頭がこんがらがってきました。
私のとなりで、この本が「あなたの想像は正しいのかもしれない」と笑っているようです。

みなさんは、この本を読んでどうお感じになるでしょうか?

私もいつか、見る人によっていろんな意味を持つ写真を撮ってみたい、そう思わせてくれるステキな絵本『りんごかもしれない』でした。